私が55歳で経済的自由を達成するまでの過程を振り返ってみます。45歳頃までは貯金をする余裕もなく、将来の見通しに不安を抱える日々でした。しかし、マイカーを手放し、光熱費や通信費を見直して節約を徹底することで投資に回せる資金を増やすことができ、少しずつ資産形成を進めていきました。
幼少期—転校の繰り返しと環境の変化(0歳–12歳)
私は三重県で生まれましたが、父の転勤によって幼少期は首都圏と名古屋圏を頻繁に行き来する生活を送っていました。転校を繰り返すたびに友達との関係がゼロからのスタートになることがつらく、精神的な負担を感じていたことを今でも覚えています。
思春期—田舎生活への違和感(12歳–18歳)
12歳の頃、父が単身赴任となり、母は一時的に入院することになりました。そのため、私は三重の祖父母宅に預けられ、田舎での生活を余儀なくされました。しかし、都会に慣れていた私には馴染めない環境で、早く横浜か名古屋に戻りたいという思いばかりが募っていました。
青年期—自由を謳歌する学生生活(18歳–24歳)
18歳で名古屋大学に入学し、一人暮らしを始めました。アルバイトに明け暮れながらも自由な学生生活を謳歌し、自分の時間を満喫していました。その後、24歳で名古屋大学大学院(博士課程前期課程)を修了し、日系IT企業に就職しました。入社して間もなく、不本意な部署に配属されたことで独立を考えましたが、当時は踏み出す勇気がなく思いとどまりました。
社会人生活—家庭を支えながらの奮闘(25歳–39歳)
25歳:結婚と新たな責任
25歳で結婚し、長女が誕生しました。しかし、会社の経営不振による残業カットで収入が減り、経済的に厳しい状況が続きました。そこで、住宅金融公庫を利用した積立投資や野村證券での海外債券投資を始め、少しずつ資産形成を始めました。
29歳—30歳:海外での経験
29歳から30歳にかけてカリフォルニア大学バークレー校の客員研究員として留学しました。海外勤務手当のおかげで生活費に余裕ができ、経済的な心配をせずに過ごすことができました。帰国後はイー・トレード証券で日本株投資を始め、資産運用の幅を広げていきました。
33歳:住宅購入と資産の危機
33歳のときに次女が誕生し、25年ローンで新築マンションを購入しました。これにより一時的に貯金が底を突きましたが、信用取引やFXに挑戦し、資産形成を続けました。
37歳:昇進の壁と教育費の負担
37歳でマネージャー昇進に失敗し、精神的に大きな挫折を味わいました。同時に、娘二人を私立中高一貫校に通わせるために学資ローンを組む覚悟も必要となり、経済的なプレッシャーが増しました。
貯蓄開始—少しずつ見えてきた光明(40歳–49歳)
40代になると収入は徐々に増え、45歳を過ぎた頃から貯金ができるようになりました。長女が大学に進学し、次女も私立中高一貫校に通い始めたことで教育費がかさみましたが、節約を心がけながら投資を続けました。
45歳でシニアマネージャーに昇進し、年収が上がったことで経済的な余裕が生まれました。この頃からインデックスファンド投資を本格的に始め、中長期的な資産形成を意識するようになりました。
成熟期—資産形成の加速(50歳–54歳)
50歳:暗号資産投資の開始
50歳になると暗号資産にも興味を持ち、少額から投資を始めました。これにより、資産運用の幅をさらに広げ、リスク分散を図りました。
52歳:さらなる昇進と教育費のピーク
52歳でゼネラルマネージャーに昇進し、年収が大きく増えました。一方で、次女が私立理系大学に進学し、教育費はピークを迎えましたが、これまでの投資成果のおかげで何とか乗り切ることができました。
54歳:本社復帰と収入増
54歳で本社に復帰し、さらなる収入増を実現しました。この頃には資産が大きく増え、経済的自由の達成が見えてきました。
55歳—経済的自由を達成
55歳で経済的自由を達成することができました。長年にわたる節約と投資の積み重ねが実を結び、独立や転職をすることなく、会社員としてのキャリアを全うしながら自由を手にすることができたのです。
振り返れば、思い通りにならないことの連続でしたが、地道な努力と継続が大きな成果をもたらしました。この経験を通じて感じたことは、「諦めずに前を向き続けることの大切さ」です。これからも、さらなる挑戦を続けていきたいと思います。
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